運営者について ドライビングシミュレーター

ウェブサイト 運営者:Soner

東京で生まれ、大阪で育つ。
両親が忙しかった為、寂しい子供時代を過ごすが、5才の時に姉から自転車の乗り方を教わり、以降は前輪や両輪をジャンプさせたり、手放しのままコーナーリングすることにハマる。

小学生4年の時に野球を始め、担任の教師に太鼓判を押されたが、5年生になって飽きてしまう。中学に上がり、サッカーの腕前は上達したが、興味が持てなかった。

高校生になり、オートバイに興味を持つが、スピードを出して大事故、救命救急センターで99%助からないとドクターに言われたが、奇跡的に回復、以後 左顔面の神経麻痺に悩まされることになる。そして、左耳が聞こえなくなる。

学校及び家族からバイクに乗ることは禁止されるが、スケボーに興味が沸いてウォーキングから始め、地球の引力に逆らって角度が急激な坂を上るスピードウォーキングに夢中になる。
以降フリースタイルを追求する。

大学時代、ウィンドサーフィンに興味を持ち、夏は毎日のように海で過ごす。 ロングボードからショートボードへ移行してスピードとジャンピングを追及する。ウィストハーネスを利用して海面ギリギリまで腰を落とすライディングが得意でマトモに風を受けるアビームのスピードは多くのサーファーの評価を得るが、競技に必要な速いタックやジャイブができなかったため、スピーディーにターンするサーファーを羨ましく思った。その後、ロングボードに戻り、フリースタイルを始める。風の方向を考えて追求するフリースタイルは面白かった。
以降、ドライスーツで真冬もウィンドサーフィンをするために毎日のように海や湖で過ごす。この頃、究極に寒い環境に身を置くことにより、胃や腸を中心にすごく内臓が強くなる。

大学を卒業後、レーシングカートに夢中になり、レース活動開始。
カートレース活動期間:約3年半
鈴鹿選手権シリーズを中心に活動
鈴鹿デビュー2戦目で予選2位獲得
レース出場回数は草レースからローカル、鈴鹿選手権シリーズ カートレース IN SUZUKAまで合わせて数十回、入賞十数回
レース中のファステストラップ3回
レース中の事故 骨折3回(肋骨2回と肩1回)
鈴鹿選手権シリーズのRSO(無限エンジン)クラスでポールポジション1回、入賞数回
レースを始めて3年目に周囲からワールドカップICAへの出場を進められるが、その前のローカルレースでメカニカルトラブルから肋骨骨折。なんとなくそのまま引退。
雨の中のレースが得意だった。



尊敬するレーシングドライバー : ニキ・ラウダ







鈴鹿カートレースのRSO(リードストックオープンの略)クラスは無限リードストックエンジンのワンメイクレースで元F1ドライバーの中嶋一貴選手や小林可夢偉選手が参戦したことのある鈴鹿名物の激戦クラスだった。1990年代は資金難のため全日本選手権を辞めて参加する元全日本ドライバーが最後に落ち着くクラスとも言われていた。今はもうない。
鈴鹿デビュー戦では新人の自分に対してタイヤ擦れ擦れまで幅寄せしてくる元全日本ドライバーの意地悪なテクニックに恐怖を感じたのを今でも覚えている。
引退する年(1990年代後半)には将来を有望視されて特別エンジンを提供された10代の無限サポートドライバー数人が上位を独占・・・20代後半の自分にスポンサーが付くわけもなく雨でも降らなければ勝てない状態に嫌気がさした。鈴鹿上位カテゴリーのチューニングクラスにステップアップしたほうが間違いなく勝てると助言する人もいたがチューニングエンジンは金がかかるしカート界の現実と資金調達に疲れて引退。
引退後の2000年代ではRSOクラスで優勝すると四輪か何かにステップアップできるというスカラシップとやらが出来て更に激戦区となったという。具体的にはタイヤ擦れ擦れのバトルを展開するという芸術性ではなく、コーナーで後ろから手荒く追突して敵を弾き飛ばし自分だけコースの残るという戦いが繰り広げられているという噂を当時の現役高校生ドライバーから聞いた。そうなればレースというよりマシンを壊し合う格闘技ともいえる。それが本当なら幾ら金があっても足りないじゃないか・・・。そう考えると引退したのは正解だったと思うが、今でも鈴鹿に戻って同クラスのシリーズチャンピオンを目指す夢を時々見るんだよね。